種子屋久高速船(07 mar 2025)

 









屋久島に向う船の中でも、若者たちはやはり掌の中の画面を見ているか、あるいは眠っている。私の後ろの席では初老の夫婦が、時々なにか話をしながら海や島を眺めている。この世代間の違いは何だろう。

 そういえば今日、糸島から鹿児島に移動した車中ではあまり音楽を流さなかった。4時間の移動の間、ただ会話をしていた。話が弾んでいたこともあるだろう、沈黙を埋めなければいけないという意識が生まれなかった。

 グラント [1] 曰く、今日において我々は、空白を埋めるべきものと考えがちであるという。沈黙や静寂は音声的な空白。暇は時間的な空白。退屈は意識的な空白。空白を埋める、という発想それ自体が、我々を多忙へと駆り立てるものなのではないか。

 予定がないのはいいことである。無予定は偶発性の余地をうむ。偶発的事象が思わぬ失敗という形をとって主体の経験に介入したとき、主体の習慣は変更されるかもしれない [2] 


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[1] 私の高校でALT(外国人指導助手)として働いていた、アメリカ合衆国出身の友人。


[2] 鷲尾涼太郎 (Ed.). (2023, September 7). スマホの向こう側ではなく、目の前のものに誘われる——哲学者・谷川嘉浩と考える「欲望」の見つけ方. DIG THE TEA. https://digthetea.com/2023/09/generation_of_phone/ 

ゆめでん

  この世の命あらざる全てのものは、「どこかの世界」でその性格を育まれ、運命をある程度決められる。そうして最終試験に合格してから、この世で作られるものにその魂を吹き込まれる。

 電車を養成する街の端で生まれたある電車は、ひどい出来だった。雑で無計画で、最終試験でも運転手を惑わし、10年ぶりの最終試験不合格者となった。「どこかの世界」運営幹部は電車があまりに出来損ないであることに怒りを覚え、彼の処刑を望んだ。気が弱く優しい運営会長兼神は、争いを恐れてその怒りの声に応え、電車を処刑することにした。ところが、何しろ優しい神のことだから、思い切りが無かった──電車の首(電車にどのような首があるのか私にも分からない)を切り損なってしまった。電車はたいへん苦しみ、すぐに昏睡状態になった。電車は病院で夢を見た。いや、夢の世界に発生したのだ。彼は時間を守らず、ただただのんびりと夢の世界の人々を運ぶ電車になった。

 ゆめでんにはいろいろな客が乗った。彼らはゆめでんに乗って、勝手な夢を見ていた。その夢は楽しそうだったり、悲しそうだったり、苦しそうだったりした。

 ゆめでんは夢の世界の人々からは大して意識されなかった。多くの場合ゆめでんは単なる舞台か小道具であった。それでも、現実の世界の電車よりも人々に自由を与えられるゆめでんになれたことが、彼の誇りなのだった。