SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が台頭し、あらゆる質の発言が同一の方法で表示されるという特徴をもった、きわめて特殊な言論の場が出現した。アテンションエコノミーを前提にこうした場を無料で提供してきた巨大企業が、次第にユーザに対する手のひら返しを始めると、急速にメタクソ化 [1] が進行するようになる。各プラットフォームで黎明期にユーザが感じていたような居心地の良さは消え失せ、今では殺伐としたタイムラインでかろうじて息をするか、ソーシャルメディアの海から這い出る選択肢しかないように思える。
そんな中、私はブログという方法に光を見る。
以前私にとってブログとは、少しマニアックな検索をかけた時に表示され、他の情報源がないから仕方なく参照するものだった。New Jeansの歌詞をカタカナ表記に直してくれているK-popオタクのマダムのアメブロや、電子ドラムのハイハットペダルのセンサー部分のゴムが固化したときの対処法を研究してくれているアマチュアドラマーのFC2ブログには、助けられてきたものである。しかし、基本的にブログは古臭く、時代遅れの、見づらい媒体であるとしか認識していなかったし、今の時代にあえてSNSではなくブログを使う意義を感じていなかった。
考えが変わったのは、菊池トムノ氏の「simple手作り生活」 [2] というBlogger上のブログを見るようになってからだった。ネットの海の中のどこをどう泳いで彼のブログに迷い込んだのか、今では全く覚えていない。
彼はそのブログで、家の設備の修理、節約のための工夫、地域の図書館の本の修理活動、催し物でのギター演奏など、彼の生活について淡々と報告を行う。そこには洗練されたデザインや、印象的な写真や、文学的な示唆があるわけではない。しかし、彼が身の回りの物事を研究対象のように捉え、普段の好奇心によって実験を繰り返しながら生活している様子を眺めていると、不思議と時間が経っている。
「simple手作り生活」には広告が表示されない。いいねやリポスト、コメント欄もなく、菊池氏のメールアドレスが公開されているのみだ。筆者と読者との間に、あるいは読者同士の間に、手軽な相互交流の手段は用意されていない。関係者間に微妙な距離がある。このような距離感のあるオンライン・コミュニケーションの場全体を、私は「非社交的な通信網」と呼ぶようにしたい。SNSはスペイン語でRedes Sociales (社交的通信網)と呼ばれていることから、その対義語としてRedes Insocialesを想定し、本稿の題名とした。
非社交的な通信「網」というからには、私一人が提唱し実践したところで、それを実現することはできない。網には多数の結節点と、点と点とを結ぶ線が必要だ。SNSからの移住先とすべき強靭な土地としてブログを開き、耕すことを、人々に促すことがこのサイトの目的である。そして、第一にこのサイトが、Redes Insocialesの最初の結節点となるべく、一個人のブログとして運営される必要がある。
小難しい話は、おそらく本質的なものではない。端的で素朴な、生活の事実と実感の記述を中心に投稿する予定である。
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[1] コリイ・ドクトロウ氏が記事「Tiktok's enshittification」において用いた語「enshittification」の訳語。
参考:Doctorow, C. (2023, January 21). Pluralistic: Tiktok’s Enshittification (21 Jan 2023). Pluralistic: Daily Links from Cory Doctorow. https://pluralistic.net/2023/01/21/potemkin-ai/#hey-guys ↩︎
[2] 菊池トムノ. (2025, May 28). 山東菜の種を蒔く. Simple手作り生活. https://tomtombox.blogspot.com/